学歴社会「日本」
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日本は学歴社会か否か。社会を構成しているものが企業であり、その採用方法であるならば、その答えは明らかに「YES」である。
私は2011卒就活生として就職活動を終えたばかりであるが、就職活動を真面目にすればするほど感じたことが、日本の新卒採用は学歴が最重要ということであった。私の周りにも日本で最高学歴の東大理系院生や、能力は高いが「学歴」というテーブルで上には来ないような大学に通っている友人など、いろいろな学歴を持つ人が居たが、ほとんどの学生が口をそろえて「学歴が重要」と言っていた。中には、この事実から逃げ、「人物重視だ、学歴なんか関係ない」と言っている学生も少なくはないが、私の知っている中では彼らはまだ就職活動を続けている。これは就職活動を通して、たくさんの企業の人事と話をする機会があったが、人事が「学歴で採っている」というのだから間違いないだろう。夢を語ることも重要だが、まずは事実を事実として認められる力をつけよう。そしてその上で、その事実が夢と相反していれば、それに対してこれから何ができるのか、どうすれば夢を叶えられるのかを考えることが重要であると私は考える。
さて、なぜ学歴が重要なのか?この理由は後述するとして、まず、実際に学歴がどのように就職活動に関係してくるか、いくつか具体的な事例を挙げてみる。
- 高学歴のみ対象のインターンシップ・選考がある。
- 高学歴にはリクルーターが付く。
- 学歴フィルターがある。
1つ目は、例えば何かと話題の世界最大手投資銀行Goldman Sachsが行うGlobal Leadersプログラムの募集要項に「東大・京大・一橋大・東工大・早稲田・慶応大・上智大・ICUの学生のみ」とあるのは有名であるが、これだけではなく、実際に日系の企業でも、学内インターンシップと呼ばれる公募されていない選考は多々存在する。特に金融機関の部門別採用や、メーカーの研究職などに多い。もちろん学内推薦の数もその簡単な例である。
2つ目に、リクルーターであるが、これは「高学歴のみ」まではいかず、「ある程度の学歴」以上の学生に付く。基本的に企業で働いている大学のOB・OGに会社または喫茶店に呼ばれ、小一時間話した上で、気に入られれば人事面接まで跳べるという選考だ。1つ目と被るが、本選考以外にも複数の選考方法がある例である。特に数百人採用する大手企業に多い。
3つ目に、「学歴フィルター」であるが、就活サイトを運営する会社の就職コンサルタントと面談した際に、この存在について肯定された。それまでは私も半信半疑であったが、実際に企業と繋がっている会社の人に明言されると、信じざるを得ない。仕組みはこうだ。通常、私たち就活生は就活サイトに登録をして、そこをポータルとして活動を行うが、その登録時に個人情報を事細かく入力する。大学名、学部、高校名、資格、TOEIC、・・・etc そして、私たちがアルバイト検索を行うように、企業側は採りたい学生の条件で検索し、例えば上記のインターン募集などを行う。
この例は「高学歴は選考の種類がいろいろある」という話だが、実際に合否の判断時にも多くこの「学歴フィルター」は活用されている。例えばWEBテストやエントリーシートもそうである。A大学なら受けた人は全員通過、B大学ならテストの成績が70点以上、C大学ならテストの成績が80点以上、というようにクラス分けされる。技術の進歩により便利になった就職活動も、実は企業にとっては便利になったが、学生にとっては「個」をアピールするチャンスが減ってしまっているのが現状である。
それでは話を戻し、「なぜ学歴が重要か?」について考えてみることにする。
この理由を解くキーワードに「大学教育」と「新卒採用」がある。これについて日本とアメリカを比べてみよう。通常アメリカでは、大学生はインターンシッププログラムに参加する。早い学生は高校生のうちから参加するというので驚きだ。そして、インターンシップを通し、自分の適性を理解し、その会社、または他社にエントリーする。その裏ではインターンシップに参加することを受け入れるフレキシブルな社会と大学教育が学生を支えているわけだ。
一方、日本にもインターンシップは存在するが、それはあくまで会社説明会の延長であり、実際に社員として働くわけではない。そもそも履歴書に穴を開けてはいけない、というのが日本社会であり、ヘタに休学をして長期インターンシップやボランティアに参加することは難しいのである。そしてある時期を迎えると、「新卒採用」という形で、いっせいに同じような学生が同じように就職活動を始める。
これでは選ぶ企業側も大変だ。大量に転がってくるどんぐりの中から、自社に合った形のどんぐりを拾うしかないからだ。そもそも日本人の国民性として「他者と同じでいたい」ということが根底にあるため、どのどんぐりもほとんど同じである。その中でどんぐりは、少しでも目立とうと、経歴としてのボランティアに参加し、会社にあった形になるようにダイエットする。時にはウソで体を大きくすることもあるだろう。
そして、残念なことに、アメリカのように学生が評価される機会や仕組みがない日本では、完成されたどんぐりから、より優秀であろうものを探す方法として残されたものは、もはや「学歴」でしかない。
それではそもそも「学歴」によって採用することは問題なのか?
私は「NO」であると言いたい。「学歴社会」という言葉に抵抗が多くなってきていることは事実だが、「学歴」によって学生を採用することは、全く問題がないと考えている。また企業にとってはReasonableである。
まず、「学歴が高い≒頭が良い」ことを認めよう。中には推薦入学者や何浪もしている学生もいるだろうが、一般的な話として学歴が高い人は勉強ができる。もちろん「頭の良さ」にもいろいろな種類があるが、勉強ができる人を「頭が良くない」という人はいないだろう。時々、「高学歴」なんて「勉強だけできる」のであって「頭が良いわけではない」という人がいるが、その人自身がハーバード大学卒でなければ、それはただの屁理屈でしかない。
そして、「頭が良い≒仕事ができる」ことを認めよう。実際、頭が良いことと仕事ができることはイコールではないが、頭が良くない人よりは頭が良い人の方が仕事ができる確率が高いというのは自然である。
つまり、一般的(確率的)に「(学歴が低い人と比べて)学歴が高い≒仕事ができる」が成り立つ。
よって、企業側からは「学歴が高い学生を採用しておけば、学歴が低い人を採用するよりも安心だ」ということが言える。もちろん中には例外があり、学歴が高くても仕事ができない学生もいれば、高卒でも仕事ができる学生もいる。しかし、日本企業はビルゲイツやスティーブ・ジョブズを求めてはいない。学生は昔ながらの社風の中で、ゆっくりと育っていけばいいのだ。それゆえリスクヘッジの意味でも高学歴の学生を採用することは理に適っている(Reasonable)と言える。そして、この採用方法ならば、わざわざ多くの学生をインターン生として受け入れる必要もないので、費用がかからない(Reasonable)わけだ。
以上より、一斉採用の日本社会では、Reasonableな理由から、確率統計的に高学歴が優先されるのは当たり前なのである。
いつか日本企業が危機感を感じ、社員に本当のチャレンジとイノベーションを求める時が来たら、日本における採用方法が変わるかもしれないが、コンサバティブで「出る杭は打たれる」日本社会では、当分「学歴社会」が崩れることはないだろう。
そして最後に、学歴社会、さらには日本の現状に私たちができること、しなければいけないことが何かを考え、この記事の終わりとしたいと思う。
まず、「日本が学歴社会であること」に危機感を感じている人は、何ができるのか、何をすればいいのかを自分で考えることが大事である。そして、できれば周りの人間と話したり、ブログやtwitterなどで情報発信をしていこう。学歴社会がすぐになくなることはないように、1人の力で何かを変えることは不可能であるが、少しずつ関心を持つ人が増えていけば、状況は変わるかもしれない。
(少し話がそれるが、どんな問題に対しても無関心すぎる日本人が、情報技術の発展と共にいろいろな問題に対して意見を言うようになれば、それはすばらしい革命だと思う。)
また、そもそも「日本は学歴社会ではない」と考えている人は、まず事実を受け入れよう。学歴社会であることを認めることは、もしかすると恥ずかしいことかもしれないが、事実を事実として受け入れることができて、初めて打開することができる。医者にしても、国家一種にしても、学閥は存在するし、日本は学歴社会ではない、といえる理由はとりあえず見当たらない。
そして、私自身は「社会は学歴社会であるべき」だという意見を持っているが、その「学歴社会」について、もう少し平等である必要があると考えている。現状、所帯収入がその子どもの学歴に大いに関係するだとか、どれだけ優秀でも飛び級できる制度がないだとか、いろいろと教育に関する問題は多い。まず「同等の能力を持っていれば同じように評価するべき」である。また、これからはさらに「同等の能力を持っていなかったとしても、ある一つの能力が長けている者を評価する」仕組みを作っていかなければならないとも考えている。実際、一度「ゆとり教育」という試みで後者を育もうとしたが、生徒に教える現場の教師たちが、対応できずに、学力低下だけを招き失敗に終わった。個人的な意見としては、もう一度、産官学一体となって、「ゆとり教育」を行ってもらいたい。これができて初めて価値のある「学歴社会」になると思う。それからもう少し外国語を初めとし、コミュニケーションを学べる機会を増やして欲しいとも思う。能力では負けない日本人も、Global Communicationの壁を越えることができず、様々な国の人に負けている現状を打開しなければならない。将来的に、日が昇る国「日本」から、世界で戦える戦士が1人でも多く輩出されるようになることを願う。そして、私は英語を勉強する、戦士になれる日を夢見て。
TOM
